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Vol.1【序】
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明治15年(1882) |
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秋田柳吉 (廣目屋初代社長。愛媛県出身。橋野家より大阪秋田家の養子となる)この年に辰馬貞(関西財閥であった辰馬半蔵の妹)と結婚、辰馬半蔵の後援のもとに天神橋ぎわに酒問屋「秋田屋」を開業していた。 |
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明治20年(1887) |
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秋田善蔵 (廣目屋二代目社長)6月19日に兵庫県西宮町で生まれる。柳吉次男、長男新之助は六歳で歿す。 |
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明治21年(1888) 秋田柳吉上京、京橋五郎兵衛町(いまの八重洲二丁目)に住む。 |
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※1 仮名垣魯文 小説家で新聞記者。江戸京橋に生まれる(文政12年)。江戸文学の伝統をついだ劇作家の最後の一人。「世界ふみ尽し」はその傑作といわれる。のち新聞界に転じ、仮名読新聞「いろば新文」創刊。明治17年には「今日新聞」(のちの都新聞、いまの東京新聞)の主筆となった。当時の社会面記事いわゆる三面記事を面白く書いて人気を呼び紙価を高めた。劇評が新聞の上に現われたのも魯文を最初とする。新聞が民衆化していったのは魯文の才気に負うところが大きい。(明治27年歿す) 柳吉はなかなか度量の広い人で、彼の家では一癖も二癖もある人間がいつも居候していた。そのなかに仮名垣魯文もいたはずで、廣目屋の商標の蛙も魯文の創案と聞いている。 |
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明治27年(1894) 日清戦争はじまる。 |
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明治28年(1895) 日清戦争の幻燈を芝公園の弥生館で興行して大変な人気を呼び、これが廣目屋興行部の始まりであった。 日清戦争が清国の降伏で終わる。 |
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※2 楽長山田栄次郎、約10名で一団を編成。一日の招聘料15円から20円。 ※3 |
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