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| 「株式会社廣目屋」こと『ひろめや』の変遷は、日本の広告業、興行、特に装飾業(ディスプレイ)の歴史にとって非常にエポックメイキングなものでした。この「ひろめやの歩める道」では、日本のディスプレイ黎明期を語る上で興味深いエピソードを「ひろめや」の社史と絡めながら連載していきます。 <月1回の更新予定です。> |
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Vol.4【明治38年〜40年】 |
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明治38年(1905) 1月1日 3月23日 6月 日露戦争、大勝利のうちに終結。 9月5日 英国のコンノート殿下日本訪問。外国の貴賓を迎えるのは最初のことで、その歓迎会を歌舞伎座において挙行、同座の内外の杉葉装飾を請負う。 10月 大山元師凱旋。上野公園竹の台に祝賀会場を引受け公園入口に台アーチをつくる。 東郷海軍大将聯合艦隊指令長官の凱旋、日比谷公園での国民的大歓迎会挙行。 式場設営を引受ける。奥行き六間(約十一米)間口五十間(約九十一米)床張りの式場であった。(請負金坪五円) |
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※西村楽天、明治十九年大阪花柳界の生まれ。講釈師から映画説明者となり楽天時代をつくる。大正十四年渡米、のち漫談家となる。 |
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明治40年(1907) 戦捷景気つづく。 4月 |
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※井上正夫もこの一座にいた。 伊井、河合の給料は一興行金二千円、井上百五十円。 |
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★以下次回掲載に続きます。どうぞお楽しみに!!
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